こんにちは。まさぽんです。
今回は「わびさび」について少しお話しさせてください。
現代を生きる私たちが失いつつあるこの感覚を勉強した際に、気付いたことを共有していきたいと思います。今回もよろしくお願いします。
今回の記事の構成(目次)は以下の通りです。
はじめに
執筆の目的(問題提起)
今回、とあるイラストコンペに参加しようとしたのです。
テーマは「日本」。
仲間とずっと議論していました
「日本らしさってなんだろう」と。
寿司、歌舞伎、武士etc...
その中で「わびさび」の考え方について触れたのです。
そして「わびさび」を深堀してみると、現代の日本における問題点が少しだけ見えてきたきがしたのです。それも日本人全員に当てはまるかもしれないレベルの。
これ、やばくないですか??
ってことで、執筆に至りました。
今回の結論
さて、端的にこの記事の主張を述べると、それは
「ボクたちは、デジタルにとらわれすぎていないか」
ということです。
時代とともに技術は発展し、私たちの生活はとっても豊かになりましたが、その中で多くの物を失っている気がするのです。その失っているものの一つが「アナログ」の考えです。
「アナログ」とは何なのか
ここのヒントに「わびさび」があります。
わびさびを題材に、アナログの重要さ、デジタルの呪いから覚ますことを目標にこの記事を書いていきます!!
そもそも、「わびさび」ってなんだろう
さて、ボクは「わびさび」というワードを多発しているわけですが
そもそも
「わびさびとはなんぞや」
ということです。
まず、わびさびとは何なのか
具体例、辞書的意味を用いて考えていきます。
わびさびの「わび」について
「侘び」と漢字で書きます。
意味としては
静かであったり落ち着いていて質素であることに見出す美しさのこと
→置かれた状況を悲観するのではなく、むしろ楽しもうとする精神的豊かさの表現(内面的なもの)
「ネガティブな状況をポジティブに捉えようとする心の豊かさ」と私は解釈しました。
自分が苦しい状況下にいても、その中でいかに楽しみを見いだせるかという考えですね。
わびさびの「さび」について
「さび」の意味は以下の通りです。
時間の経過によって劣化していく様子
→古いもの、劣化したものに美しさを感じ取れる感性
物事は移り変わりやすく、儚い
古いもの、枯れたものに対して「歴史」というポジティブな視点で美しさを感じ取れる感性と解釈しました。
「古い、枯れた」というネガティブなものを「ストーリー(歴史、背景)がある」と前向きに捉えることができることですね。
「わびさび」からわかること
「わびさび」から、学べることは以下の3点です
1:ある一点から、その背景を見る感性の素晴らしさ
例えば、お寺。
お寺はその場にあるだけですが、我々はその背景を無意識に見ようとします。
「このお寺にはどんな歴史があるのだろうか??」
とついつい探究しますよね。
これこそ「ストーリーを見る」ことではないのでしょうか?
また、枯れた木一本を見ても、その太さ、力強さから
「この木はすごく歴史ある、力強く生きてきたんだなぁ」
と考えることが人間にはできます。
これこそ、「わびさび」の真骨頂ですよね!?
2:「儚さ」に美しさを見いだせる
ものが消えていく様「儚い」
これに美しさを見いだせるのって、本当に素敵だと思います。
例えば「歌」
厳しい言い方をすると、歌は一瞬で消え去ります。
しかし心に残ります。
ものづくりは、形には残ります
しかし、残念ながら、形あるものはいつか壊れます。
ですが歌は、人の心に一生残り続けます。
これこそ「儚さ」の美学なのではないのでしょうか?
また、「桜」も儚さの代表格だと思います。
本当に綺麗だと思えるのは数日間のみ。
すぐに花弁は散ってしまう。
桜は、自分が一番美しいときに、惜しまれながら散っていく。
しかし、私たちはそんな「一瞬」に美しさを感じることができる。
これって、とても素敵なことでしょ??
3:連続的に見つめることの美しさ
物事を「点」ではなく「線」で見ることも「わびさび」ではないのでしょうか??
結果だけでなくその「過程」や「背景,ストーリー」に魅力を感じ取れることも大きな魅力です。
この結果の裏には壮絶な努力が隠れているんだなぁ
ボクはアスリートのインタビューを見ていると毎回涙します。
選手の歴史はとっても学びがあるからです。
そんなように点だけでなく、線で見ることが私たちにはできます。
失われつつある「侘び寂び」
デジタルに、操られていない??
ここで、私は気付きました。そしてこの思いを共有したいです。
「ボクたちは、デジタルを操っているように見えて、操られていない??」
最大のメッセージです。
書いていて自分の心にぐさりと刺さりました。笑
例えば:討論番組
最近話題の「不倫報道」や「政府の対応」
これらはいいも悪いもつけられないと思うのです。。
マルかバツか。白か黒か。
専門家にもこの二択しか与えられておらず、曲解ばかり。
これをメディアがいいように捉えあげ、
騒ぎ立てる
負のスパイラル。
グレーという選択肢はないのか?
黒に近いグレー、白に近いグレー、、
△も選択肢に入れるべきだと思うのです。
無論、議論は二分化した意見のもとで発展するのも否めませんが。。。
例えば:スマホ中毒
最近のボクは、スマートフォンを気づいたら触ってます。
大した用事もないのに。
全然スマートではないです。
1日に4時間スマホのスクリーンを見ているとすると、
30日(一ヶ月)で120時間。
約5日丸々スクリーンを眺める時間になっている計算です。
恐ろしすぎる。。。
不要不急のスマホは本当に時間ヴァンパイアです。。😅
アナログの価値を、再認識して欲しい
このように、デジタルに操られていてはなんだか
「人間らしくない」
感じがして悲しいのです。
せっかくの日本特有と言われる「わびさび」の文化
アナログの価値、再認識してみませんか?
例えば:写真の風景と実際の風景
最近のデジタル媒体、凄すぎます。
iPhoneを筆頭に、カメラの精度が高すぎる。
解像度が高く、実際の風景を見ているようです。
でも、実際の風景には「絶対に」勝てない。
そうボクは思います。
ふらっと散歩に出たときに見る風景には
・風の強弱
・匂い、香り
・光の絶妙な反射
・温度
デジタルで再現できないものだらけです。
この情勢下で散歩を無理して推奨するわけではありませんが、
アナログならではの「雰囲気」を感じること
とっても大切だと思います。
例えば:キーボードではなく、紙とペン
今やデジタル媒体が普及しすぎて、実際にペンを持って自分で字を書く機会本当に減った気がします。
もちろんデジタルが悪いわけではないんですが、、
やっぱり脳の思うがままにかけるのは、アナログのメリットだと思います。
ボクがメモを用いてブログを書くのも、これが一つの理由です。
特に、分析するときなど、頭を使うときは、絶対紙に書きます。
以前に記事の最後に、メモの過程を載せている記事もあるので
よかったらみてくれると嬉しいです!
今回も載せます。
ぜひ、もう一度紙とペンで思うこと、気になること、
なんでも書いてみましょう。
何か違った気づきが得られる「かも」
しれません笑
まとめ
今回の記事は、正直思ったことを思った様に書きました。
読んで欲しい人を思い浮かべ、その人に語りかける様に書いたつもりです。
この記事を読んでくれた方が、少しでも共感してくれると嬉しい限りです。
最後にもう一度まとめさせてください。
・わびさびの魅力
・わびさびから学ぶ、アナログの重要さ
・デジタルに、使いこなされていない??
・アナログを武器にデジタルを「使いこなそう」
この四つを主軸に考察してきました。
ぜひアナログを知り、デジタルに「使いこなされる」のではなく「使いこなす」ようになりたいですね。
ボクももっと、アナログの価値を探していきます。
もちろんデジタルの最新の技術を使いながら。
うまく共存していくことが大切ですね!!
ぜひ、感想やコメントがあれば、以下のフォームからいただけるととても嬉しいです!
最後までご覧いただきありがとうございました。
最後の最後に、今回の記事作成でアイデアとしたメモを載せます。
特に意味はないですが、参考にしてくれると嬉しいです。
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