教育&勉強法

学校は「勉強の方法」を教えてくれない

どうやって勉強したらいいの?

「先生,どうやって勉強したらいいですか??」
そんな声を,日頃からたくさんききます。


これを教えるのが自分の仕事なので,もちろん自分もできる限りわかりやすく、これでもかというほど内容を噛み砕いて教えるのですが,
最近は,生徒自身に考えてもらう時間を設けるようにしているつもりです。

それは,自分自身に気づきのきっかけを与えていきたいという思いからです。

ところで,勉強を頑張りたくてもどうやって頑張ったらいいかわからないのは大きな問題です。

この問題はどうして起きているのでしょうか? また,どうしたら解決できるのでしょうか?

今回はこの問題を考えていきながら,自分の知見をまとめたいと思います。

 

⏬過去の記事もおすすめです。もし良かったら,読んでくれると嬉しいです。

https://masapons.net/category/教育

 

勉強は教えてくれるが「やり方」は教えてくれない

現状,勉強を教えてくれる人は多いのですが,そのやり方にまで踏み込んで教えることをしている人が少ないように見えます。もちろんこの課題に対して一生懸命取り組んでいる先生も多いと思うので,一概には言えませんが,話を聞く限りでは少なそうです。

学校現場

皆様も周知のように,学校の先生はとっても忙しそうです。日々の授業計画,部活,クラスの状況把握,テスト作成と採点,プライベートetc…

とてもではないですが,勉強のやり方を教える時間はないですし,考える時間すらないように見えます。

ですが,「勉強しなさい」と生徒に対しては言わないといけません。

 

よって,生徒の子は必然的に手元の勉強用具を用いてそれっぽく勉強するしかないのです。とりあえずノートの内容を別のノートに写してみたり,宿題のワークをやってみたり。

もちろん全くの無駄ではないのですが,「最善」とは言い難いですよね。闇雲に勉強をしているのでは成績は伸びにくいのが現実な気がします。

 

サッカーに例えるなら,とりあえずサッカーしとけと言われてサッカーをやるのですが,実際の試合のためには,攻めの練習,守りの練習,キーパーの練習など各要素の練習をしないといけませんよね。

 

勉強にフォーカスすると,ワークを繰り返し学習することが一つの例です。もう完璧にできるのに何回もやるのは時間を有効に使っているとは言えませんよね。そこまで無駄にする時間は中学生,高校生には基本的にないはずです。

勉強のやり方指導は??

おそらく,小学生の頃は勉強法なんてなかったのだと思います。低学年のうちは「言葉を覚える」,「基礎計算ができる」など単純な反復練習が一定の効果が多いですが,中学年,高学年になるにつれて「考える」ことが要求されます。にもかかわらず,いつもと同じように「写す反復」を行ってしまっていること。これでは効果的な成長は望みにくいです。

そしてそのまま中学に上がってしまうのです。

 

勉強に対する癖を小学生から放置してしまうと矯正はなかなか難しいです。何事も早い段階に行った方が良いのにと思います。

頑張り評価主義

教育の現場が何十年も変わっていないことを踏まえるとこの課題が見過ごせません。

昔からの風潮で「時間をかければいい」「努力が見えるものが良い」ということがあるような気がします。

 

例えるなら,自主勉ノートの課題に対して「関数の分野が苦手なのに関数の問題を1ページ解くのではなく,得意な連立方程式を3ページ解いた方が先生からの評価が高い」といった感じです。

その子にとっては関数の1ページの方が価値ある1ページのはずなのに連立方程式をびっちりと解いた方が頑張ったように見える,かっこよく見える。これが問題なのです。

 

自分の苦手を見つけた経緯と,解決のためのコンテンツが1ページあれば十二分ではないでしょうか??これが正しい自主勉なのでは??と提案したいです。

歴史は繰り返す??

勉強の「やり方」にフォーカスした人を学校以外の教育の現場でもあまりみない気がします。

具体的なこんな勉強をしたらいいというアクションプランを提示している人はなかなか少数で,ただ「この科目もっと頑張りましょう」といった抽象度の高いアドバイスに終わることも多い気がします。

これでは頑張れなくてもしょうがないです。

そもそも,「教える側が勉強のやり方」を知らないケースすらあると思っています。なんだかうまくいって大学受験をパスした学生バイトなどはわかっていないのでは??とちょっと疑問符が浮かんだりします。(自分が言えることではないのですが。)

 

学校で「勉強のやり方を教える」,塾で「勉強を教える」ように完全分業制にしても良いのになとすら最近は思います。

勉強自体は贅沢なのでやりたい人がやれば良いと考えているので,塾でお金を払って難しいことを教えて貰えば良いと思います。ですが勉強のやり方は将来的にどんな場面でも必要です。考え方の勉強こそ学校で行うべき教育なのではと思います。

 

自分で模索する

といった経緯を踏まえて,今の自分は「勉強法を模索する」ことを大切にしています。

生徒のテストが帰ってきたら,課題点,良かった点,うまくいかなかった点を整理し,次回に繋げていく行動までを一緒に考えるようにしました。その例の一つを下記に示します。

例えば:定期テストで点数「だけ」をとる対策

たとえば,定期テストで点を取るだけなら,先生のクセを把握することが大切です。2学期にもなれば,先生がどのような形式で試験を出題するかの知見が集まってきます。そうなると,ワークをやるべきなのか,教科書の内容の比重を高めるべきなのか,ノートの内容を重視するのか,実力重視なのかさまざまな作戦が立てられそうです。これは先生が変われば使えませんが,基本同じ先生が作問する場合は有効ではないでしょうか。

例えば:受験勉強〜合格のために〜

受験勉強では,「無駄のない勉強」を行い,いかに最短で自分の力を上げるかが重要です。例えば,入学試験では英語,国語,社会が試験科目なのに,数学を勉強するのはナンセンスですよね。

科目単位なら簡単ですが,それが単元単位,課題単位になると難しくなってきます。(これを提示するのが先生の仕事なのですが

 

このように,「勉強のやり方」は一人一人最適案があり,それはじっくり自分の勉強に向き合わないと得られません。苦しいのですが,気づくことも多いです。

 

最後に:気づけた人がアタマ一つ抜ける

勉強法に気づけた人が,フィットする勉強法をしている人が「結果を出せる人」になれると思います。俗にいう「頭の良い人」でしょうか。

彼らは無意識のうちに効果的な勉強をしていると思います。無駄がないのです。そもそも授業の受け方が違うのです。(別の記事でまとめます。)

 

そんな「勉強法の模索」に力を添えることが自立のために必要なことではないでしょうか。広義に言えば,PDCAサイクルを回すことです。このような思考を使いこなせるように,自分も頑張らないといけないなと日々痛感しています。

今回の記事は以上になります。最後まで見ていただきありがとうございました。